沿革(昭和41年~63年)
昭和40年 | 石川島播磨重工業(株)社長 田口連三氏と山形市財界人が懇談会を開催し、その席上建設業の近代化に向けた取り組みを発表。 同年、建設業の省力化、省人化に向けたコンクリートポンプ車を使用した事業構築を目指し、会社設立を図る。 |
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昭和41年 | 3月 | 山形市幸町にて山形コンクリートサービス㈱を設立 資本金1,000万円 初代社長 中村喜兵衛、専務 千歳貞治郎、常務 佐藤勝彦 監査役 長谷川吉内、永野喜一郎 株主:山形建設、東南建設、亀甲土建、山形生コン、鹿間生コン、第一生コン、県会議員 石川島播磨重工業製コンクリ-トポンプ車、PT12型1台購入 価格980万円 従業員5名でスタートする |
5月 | 山形飯田地区に建設中のパレスホテル現場にて試験圧送に成功 | |
6月 | 西村建設㈱施工のレジャーセンタービルにて公開試験打設を行う | |
8月 | YBCテレビにて「郷土の建築」番組を6ヶ月間提供する | |
9月 | IHI製コンクリ-トポンプ車PT12型1台購入 2号車となる | |
昭和42年 | 7月 | 清水建設㈱施工、富国生命ビル6階建ての高層建築を施工 |
8月 | IHI製コンクリ-トポンプ車PT30型1台購入。3号車となる | |
昭和44年 | 11月 | 業容拡大に伴い事務所を山形市小立に移転 社員数16名 |
昭和45年 | 4月 | 第二代社長に佐藤勝彦が就任 経営理念と社是を発表 -経営理念- 企業に参加する全ての人は、幸せでなければならない。 -社是- 圧送事業を通じて、人格の涵養と技術の錬磨に励み、豊かな社会造りに貢献する。 |
5月 | 極東開発製スクイズ式CP車購入 | |
7月 | スクイズ式ブーム車購入 創業初のブーム車になる | |
12月 | 米沢営業所開設 | |
昭和46年 | 12月 | コンクリ-トポンプ車保有台数18台 社員数50名になる |
昭和47年 | 2月 | 酒田営業所開設 |
昭和48年 | 4月 | 山形県コンクリ-ト圧送協会 設立 |
昭和49年 | 5月 | 東北1の圧送業者になる コンクリ-トポンプ車保有台数24台 社員数75名になる |
12月 | 鶴岡営業所開設 | |
昭和51年 | 8月 | 「目指せ日本一」のキャンペーン開始 |
昭和52年 | 10月 | 新庄営業所開設 |
昭和53年 | 4月 | 待望の圧送業日本一を達成する コンクリ-トポンプ車保有台数31台 日本一達成を記念して全社員海外旅行 |
昭和54年 | 4月 | 新潟県に村上営業所を開設 |
11月 | 新社屋が山形市穂積に落成 | |
昭和56年 | 4月 | 管更生事業部始動 ニッシン自動車株式会社がグループに参入 |
昭和57年 | 4月 | 協栄コンクリートサービス株式会社を仙台に設立 管更生事業部が初の県外施工を行う。(大蔵省関東財務局宿舎) |
昭和58年 | 8月 | オフィスコンピューター導入 |
昭和60年 | 4月 | 東京営業所開設 コンクリ-トポンプ車保有台数50台 |
昭和61年 | 4月 | 創立20周年記念式典開催 株式会社トーケン設立 コンクリ-トポンプ車9台購入 仙北営業所開設 |
昭和62年 | 5月 | ニッシン自動車㈱が山形県自動車整備振興会より成績優秀の表彰を受ける |
昭和63年 | 3月 | 横浜営業所を開設 |
4月 | アサヒ開発株式会社を埼玉に設立 資本金1,000万円 石川島建機株式会社よりCP車購入実績に対し、業界初の感謝状が授与される |
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7月 | 山形コンクリートサービス㈱の資本金を3,000万円に増資 IHI製コンクリ-トポンプ車18台購入 (株)トーケンにて定置式ポンプ車のリース事業開始 |
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9月 | 山形市十文字にニッシン自動車㈱の新社屋が完成 |